平田みつよしの注目キーワード

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平田みつよしのつぶやき

  • hirata_mituyosi
    今朝の朝日新聞4面〔敗戦が生んだ条文はいま 日本・ドイツ・イタリア根幹の理念に〕は些か苦しい紙面構成と言わざるを得ないのではないか。朝日の意図とすれば、「旧枢軸国で唯一変わっていない日本」という体で記事を纏めたかったのだろうが、朝日の言う「特徴的な条文」とはドイツ基本法の(続く)2019-05-02 21:22:20
  • hirata_mituyosi
    (続き)(昭和53年)なんか1つの音符にたくさん詰め込んだって言われるけど、詞先じゃないんですよ、あれ。苦労して丁寧に歌詞を置いていったんだよ。随分乱暴に『勝手にシンドバッド〕を作ったみたいに言われるんだけど、本当は違うんですよ」と述べていたのが興味深かった。2019-05-02 00:29:08
  • hirata_mituyosi
    (続き)強力なんだよね。歌詞の乗っけ方が自由っていうかね。詞先(で曲が後)なのかもしれないね。譜割りを摑まえるのが歌詞だけ見てるとやっぱり分からないんだけど。新鮮な、ああこんな素晴らしい曲なんだと思いましたよね」また、自身のデビュ… https://t.co/lK1srSVbfz2019-05-02 00:28:38
  • hirata_mituyosi
    (続き)よね。大橋純子さんの〔シルエットロマンス〕(昭和56年)にしろ、久保田早紀さんの〔異邦人〕(昭和54年)って、〔異邦人〕は大変な傑作ですね。アレンジも、盛り上がる感じ。高揚感ですね。今でいう“ゾーンに入る”ってやつでね。槇… https://t.co/6N4I452SE72019-05-02 00:28:04
  • hirata_mituyosi
    (続き)だもんね。あの頃自分達のことで精一杯だったんでね。寺尾聰さんの〔ルビーの指環〕(昭和56年)がどんだけ良い曲か、耳にも入ってこなかったの、申し訳ないんだけど。まあ良く出来てるし、自分がプロとして音楽を何十年やってきたから分… https://t.co/CsV7udwj7E2019-05-02 00:27:21
  • hirata_mituyosi
    (続き)『スリーフィンガーやってんの? 器用だね』とか『中央線の沿線で下駄履いて歩いてんだ、あいつら』みたいな、そういう言い方をしてたんですけど。今思うと大きな勘違いでね。クラプトンも良いけど、GAROの〔学生街の喫茶店〕(昭和4… https://t.co/TM2Smn6ltu2019-05-02 00:26:22
  • hirata_mituyosi
    (続き)ないんだけど、『ああ、こんなに良く出来た壮大な曲なんだ』ということを知る訳ですよね。あの当時、それを揶揄する様な意見もあったじゃないですか。“四畳半フォーク”っていう言い方があって。そういうね、了見の狭い時代でもあったの。『(俺)クラプトン好きだもん』とか、(続く)2019-05-02 00:24:46
  • hirata_mituyosi
    鑑賞録。NHK〔桑田佳祐 大衆音楽史 ひとり紅白歌合戦 平成フィナーレSP〕桑田佳祐氏による流行歌のワンマンライブ。ライブそのものはダイジェストで、本番組のメインは桑田氏による解説。これが見事なライナーノーツになっていてとても面白… https://t.co/ekg7a9KPO82019-05-02 00:23:23
  • hirata_mituyosi
    (続き)いくんでしょうね」という事態は愈々進行している。人生100年時代にあっても30年という歳月は長く、重い。平成が始まった時、まだ中学生だった私も中年になった。改元を寿ぎ、新しい御代が平和で幸多い時代であることを祈る。 https://t.co/RmBR47TAJI2019-05-01 08:28:31
  • hirata_mituyosi
    (続き)のではないか」と洞察した。平成の30年余がもたらしたものは自然災害であり、情報技術の進展だった。これらは世界共通のものである。「未来にあるものは何かって言ったら国際主義ですね。それから一種の抽象主義ですね。世界中、同じ問題… https://t.co/ngpWTpGtSV2019-05-01 08:28:01
  • hirata_mituyosi
    (続き)生まれ、その最初の者たちが彼について何事かを語り得る年齢に達するという時間である」と考察した。三島が自決したのは’70(昭和45)年だが、戦後の25年間がもたらしたものは敗戦・改憲・日米安保・高度成長だった。大きな変革の中… https://t.co/zofvRoz9BE2019-05-01 08:27:04
  • hirata_mituyosi
    平成の30年余が終わり、令和が始まった。三島由紀夫没後30年の’00(平成12)年11月、新潮社から〔決定版三島由紀夫全集〕の刊行が始まった。完結にあたり、平野啓一郎氏は「三十年という時間の長さは独特である。それは、故人を知る者の… https://t.co/ZWV9uS99JW2019-05-01 08:25:52
  • hirata_mituyosi
    (続き)番組のタイトルは〔日本人と天皇〕ではなく〔天皇と日本人〕にするべきではなかったかと思う。日本の拠り所とは、思想信条が様々であっても、肌や瞳の色が違っても、或いは米飯が主食で無くなっても、天皇を推戴している所にこそ在るからで… https://t.co/larbksFHWr2019-04-30 21:04:42
  • hirata_mituyosi
    (続き)の由来である。皇位継承の問題では、戦後に女帝論を唱えた故三笠宮崇仁親王殿下が晩年には女帝が一般人の男性と結婚する困難を指摘した上で、結局「華族制度を無くしたことが天皇制の外堀を埋めた」と率直に認めたことが紹介された。付け加えるとすれば、(続く)2019-04-30 21:03:55
  • hirata_mituyosi
    (続き)大嘗会と同時に天照大神と直結しちゃうんです」と考察した。伊勢神宮で20年毎に行われる式年遷宮も同様である。真新しい正殿や社殿が創祀と直結しているのである。本番組では大嘗祭を克明に再現した。天皇と神々との食事が「直会」であり… https://t.co/6ossvEoIxX2019-04-30 21:03:13
  • hirata_mituyosi
    鑑賞録。NHKスペシャル〔日本人と天皇〕三島由紀夫は天皇について「穀物神だからね、天皇ってのは。そして、個人的な人格ってのは二次的な問題でね。全てもとの天照大神に帰ってくる。だから今上天皇っていつでも今上天皇なんです。つまり、次の天皇のお子様がどうだって問題じゃなくて、(続く)2019-04-30 21:02:06
  • hirata_mituyosi
    (続き)「柔道日本一の坂口さんが入団した。それくらい当時のプロレス界は魅力があった」プロレスも昭和から平成、令和へ引き継がれるが、馬場・猪木を超えるスターは生まれるだろうか。 https://t.co/7L3o88sJiv2019-04-29 22:04:28
  • hirata_mituyosi
    (続き)止まるということはない」という天龍氏の考察や、司会者の「“俺たちの時代”という実感はいつ頃あったか?」という問いに「それは無かった。プロレスを知らない人も含めて常に『あなた馬場のところ? それとも猪木のところ?』と訊かれ続… https://t.co/Mv0SavKbJU2019-04-29 22:03:08
  • hirata_mituyosi
    〔天龍源一郎トークバトル〕を鑑賞。ゲストは藤波辰爾氏。「レスラーが満足する試合ではなく、お客さんに満足してもらうのが全日本プロレス。レスラーが満足する試合をして、お客さんに理解を求めるのが新日本プロレス。全日では『無駄な動きをする… https://t.co/mOJ7gwL7UG2019-04-29 22:02:14
  • hirata_mituyosi
    (続き)区長室長には初めから終わり迄、区長と副区長も揃って、又はいずれかがご同道頂く懇篤なご対応で、訪問団一同感激、感謝申し上げた。 https://t.co/HZ6uBrb2ow2019-04-26 05:42:05
  • hirata_mituyosi
    (続き)一種の学童保育が行われている。公立なので無償だが、給食費や学童保育で月額約200€の負担がある。ゾンダーホフ元区議会議長主催の昼食会の後、ガス工場跡地の再開発地区やリサイクル施設を視察。友好の象徴である紋章花壇・葛飾通り・… https://t.co/2LqEktYgzS2019-04-26 05:41:16
  • hirata_mituyosi
    (続き)なってい、36学級、11〜19才の1000人が学ぶ一般教育学校(日本の中・高校に相当)である。続いて、ツェーデンガッセ小学校を訪問。こちらは17学級、6〜10才の400人が学ぶ小学校で、葛飾区の小学校と交流事業を行っている… https://t.co/gNGsJjzFsB2019-04-26 05:40:00
  • hirata_mituyosi
    葛飾区の友好姉妹都市・ウィーン市フロリズドルフ区訪問2日目。朝はSchulschief、直訳すれば練習船という名の「船の学校」を訪問。オーストリアの小説家・ベルタフォンズットナー(ノーベル平和賞を世界で初めて受賞した女性)の名が冠… https://t.co/LGIKnyhtTg2019-04-26 05:38:50
  • hirata_mituyosi
    (続き)有意義な交流を持つことができた。夜は150周年記念コンサートへ。元ウィーンフィルの吉井健太郎氏によるチェロで、フィナーレはシュトラウスの〔美しく青きドナウ〕〔ラデツキー行進曲〕。別室でフロリズドルフ区議の皆さんとも意見交換… https://t.co/lqqlLlt1hi2019-04-25 07:03:51
  • hirata_mituyosi
    (続き)当たる。今日は葛飾区議会日墺友好議連訪問団の一員として区役所にゲオルクパパイ区長を表敬訪問し、意見交換。さらに日本大使館に小井沼紀芳大使を表敬訪問した。大使とご一緒に区・市森林局・大使館主催の〔桜の森まつり〕に始めから終わ… https://t.co/PwvoLiz8eT2019-04-25 07:03:21
  • hirata_mituyosi
    (続き)よる併合を経験した。戦後はソ連の影響を色濃く受けながらも、中立国として国連機関のお膝元にもなり外交の舞台になった。葛飾区とオーストリアのウィーン市フロリズドルフ区とは、映画〔男はつらいよ〕が縁で’87(昭和62)年に友好姉… https://t.co/8a4pzeXjZb2019-04-25 07:01:47
  • hirata_mituyosi
    (続き)治める“大オーストリア”の皇帝として君臨した。日本との通商条約締結はオーストリア・ハンガリー二重帝国発足の2年後である。その6年後には岩倉使節団が訪墺、皇帝に謁見し、開催中だったウィーン万博を視察している。第1次大戦後、皇… https://t.co/aopMgmpnRX2019-04-25 07:00:44
  • hirata_mituyosi
    (続き)スペイン王のフェリーぺ2世は天正遣欧少年使節が謁見したことでも知られる。世界遺産のシェーンブルン宮殿が築かれたのは改革の辣腕を振るった女帝マリアテレジアの時代で、その後ナポレオンとの争いに敗れたフランツ2世は神聖ローマ皇帝… https://t.co/BjjboaukkJ2019-04-25 06:59:53
  • hirata_mituyosi
    オーストリアとは「東の国」に語源を発し、ハプスブルク家のルードルフ1世がドイツ王に選出された後、東方に新天地を拓いたことに始まる。16世紀、カール5世の時代には英・仏・ローマ教皇庁領を除く欧州の略全て、遠くメキシコ・キューバ・フィ… https://t.co/arUL1dC6Hm2019-04-25 06:58:10
  • hirata_mituyosi
    (続き)’81(昭和56)年6月24日蔵前国技館に於けるブッチャー・ハンセン組vs猪木・谷津組のVTRを観ながら、これがデビュー戦で全くぎこちない谷津嘉章氏の試合運びに思わず苦笑、というより爆笑するブッチャー氏の人間味に惹かれた視… https://t.co/DjHh7QzB202019-04-23 05:48:43